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 バックナンバー一覧メルマガ登録・解除・変更お問合せ 2003/11/26配信

原爆を投下した男たちの心理

 本来なら8月の終戦記念日に合わせて書くべきなのでしょうが、思い立ったときに書いておかないと忘れてしまうので、時季外れはご容赦ください。

 広島・平和記念公園の慰霊碑に安置してある石棺に彫られた碑文は、教科書にも載っているのでご存知の方も多いでしょう。

「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」

 極東軍事裁判の判事でただ1人「全被告無罪」の判決を下したインドのラダビノート・パール博士は、1952年11月に日本側の招きで再来日してこの碑を訪れた際、このような発言を残しました。
「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」

 これがきっかけとなり、いわゆる碑文論争が起こります。碑文の主語は誰なのか。日本人なのか、それとも敵対したアメリカ人なのか。数々の議論が繰り返され、現在では碑文の主語は「全人類」であり「国籍をこえて、この碑の前に立つすべての人間が、自国の間題、人類の1人として、二度と核戦争をしないことを誓うことだ」との解釈で一応落ち着いています。しかしこれらの論争はあくまで日本人どうしで争われたにすぎません。

 アメリカは戦争行為として原爆の投下を決定しましたが、実際に広島・長崎上空に飛来し、投下スイッチを操作したのはB29の乗員です。彼らはその後、自分たちがした行為についてどのように感じていたのでしょうか。これについてアメリカの臨床心理学者ウォリビー博士が、乗員たちの心理分析を試みています。

 広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の機長ティベッツは、ウォリビー博士と面接した際「私が決定したのではなく、そうするよう命令されただけ。戦争を個人のこととして考えたことはない。(原爆投下は)起こらざるを得なかった戦争行為のひとつだった」と述べています。一方、これと対照的なのが副操縦士のルイスで、彼は「戦争の終結を早めた」という意識と「多くの人々の生命を奪ってしまった」という対立する意識の狭間で悩んでいました。

 エノラ・ゲイには当時すでに初歩的なコンピューターが搭載されており、爆撃に使用されていました。実際に爆撃スイッチを操作した爆撃手のフェレビーは「コンピューターを操作したので、自分がやったのかコンピューターがやったのか分からない」と言っています。

 ほかにもレーダー手のビーザーは「済んだことを考えたら頭がおかしくなる」と言い、航法士のカークは「誰かとケンカするときは、勝つためにできることは何でもする」と語っています。

 ウォリビー博士は彼らの発言内容から次のように分析しました。
「自分が実際にしてしまった残虐な行為と良心の呵責との不協和音が生じないようにすることや、自分の行為を理屈付けすることで、大量殺戮にかかわったことを正当化しようとしている」
 また、この心理の根底には“愛国心”が存在しており、戦時下という特殊な状況下における正当な行為だったと考えることで、心理的に適応しようとしているのだというのです。この心理はレーダー手のビーザーが語った「済んだことを考えたら頭がおかしくなる」という言葉によって暗に表現されています。

 彼らのうち誰が発したのか定かではありませんが、エノラ・ゲイの乗員のひとりは、巨大なキノコ雲を見たとき思わずこう呟いたといいます。
「神よ! いったい我々は何をしたのですか?」

 戦後ルイス副操縦士は、キノコ雲の表面に血のしたたる様を大理石の彫刻で制作し、心の内に秘める断ちがたい苦悩を表現しました。
 一瞬にして多くの人命を奪った原爆は、落とされたほうはもちろん、落とした側の人間をも永く苦しめているのです。


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