ひらやんのブツクサ独り言   ON WEB
 バックナンバー一覧メルマガ登録・解除・変更お問合せ 2004/6/23配信
人事記録に残される脱走歴

 軍隊経験のある人の著書によく、脱走兵の話が出てきます。その本によると脱走には「陣中逃亡」と「敵前逃亡」があって、戦時ではないときに駐屯地から脱走するのを「陣中逃亡」といい、戦地で戦闘中に脱走するのが「敵前逃亡」というのだそうです。敵前逃亡は極刑ですが、陣中逃亡はせいぜい重営倉で済むということでした。

 じつは自衛隊にも脱走と言う行為が少なからずあります。自衛隊では「脱柵」といい、駐屯地の外柵を物理的に破って、あるいは乗り越えて外部へ出るのはもちろん、外出したまま帰ってこないのも広義で脱柵といいます。当然にそれなりの罰則が定められています。恥を晒すようですが、敢えて実例を紹介しましょう。

 私の同期にMという男がいました。新隊員の前期課程ですから、ついこのあいだまでは高校生でした。Mは好き好んで入隊したのではなく、就職試験にすべて失敗して、自衛隊しか残っていなかったというのです。今でこそ男子の一般入隊は平均倍率5倍といわれる狭き門ですが、20数年前はそんな時代だったのです。

 入隊式を済ませた数日後、初めての外出が許可されました。いったん実家へ帰る者がほとんどで、手に手にお土産を持っています。Mも例にもれず実家帰省組の1人でしたが、彼だけ手荷物が多いのが気になりました。

 その夜。帰隊時限の午後8時前にはほとんどの者が駐屯地へ戻ってきて、翌日から始まる訓練に備えて準備をしていました。しかし、Mだけが8時を過ぎても帰ってきません。班付は営門まで出てMの帰りを待ち、教官は隊舎の前を行ったり来たり、檻の中のクマみたいに落ち着きなくウロウロしています。
「Mの実家に連絡が取れました。Mはまだ実家にいます」

 私の班の助教が教官に報告し、その助教と教官の2人がMを連れ戻すために実家まで行くことになりました。

 その日、消灯ラッパが物寂しく鳴り響き、教育隊の全員はベッドに潜り込みましたが、Mのことが気になって眠れません。

 日付が変わろうとしたとき、居室の隅のほうからゴソゴソと物音がします。
たぶんMが連れ戻されてきたのでしょう。照明をつけられないので、歩哨訓練で習ったばかりの誰何のまねをして「誰か」と声をかけてみました。すると影の人物は、ちょっとバツが悪そうに「M2士――」と答えました。

 結局Mはこの日、規則上は「帰隊遅延」を犯したことになるのですが、初回ということもあり、教官に注意を受けただけの温情判決で処分は受けませんでした。

 それから数週間後、Mはまたしても外出したまま帰ってきませんでした。このときも実家に居るところを教官と助教が迎えにいって連れ戻されました。

 そして前期教育で最後の外出となったある日、Mはまたしても帰ってきませんでした。今度は実家にもいません。そうなると厄介です。居場所が分からないなら、本格的に捜索隊を出さねばなりません。事が大きくなる前になんとしても教育隊だけで見つけ出さないと、もし警務隊が動き出すとMはもちろん教官や助教までタダでは済まないのです。

 まず、担当の助教がMの実家前に車を止めて張り付きました。教育隊のほかの助教と班付たちは交代で、Mの交友関係や付近の繁華街に張り込んだり、ホテルや旅館などの宿泊施設を片っ端からあたりました。

 そのまま約1週間がすぎたでしょうか。実家近くの駅構内で張り込んでいた班付の陸士長がMを発見、その場で取り押さえて部隊へ連れ戻してきました。
Mは1週間のあいだ実家にも立ち寄らず、風呂にも入っていないので汚れた体と衣服からは異臭を放っていました。

 Mは退職したいと言いましたが、Mの両親がそれを許しませんでした。結局Mは捜索にかかった費用の全額を負担させられて夏のボーナスを棒に振り、それでも前期教育を修了して後期教育へと進んだのです。そして後期教育隊でもやっぱり脱柵して、結局そのまま依願退職してしまいました。

 これだけ頻繁に脱柵を繰り返す例はきわめて稀ですが、たとえ1回でも脱柵した事実が人事記録に載ってしまうと、それは一生ついてまわるのです。依願退職したとしても、再就職の際には、自衛隊を依願退職したということで不審がられます。脱柵した事実が発覚すると、まず採用はおぼつかないでしょう。

 Mが今どこで何をしているのか、同期の仲間で知る者はいません。彼はきっと、脱柵を繰り返したことを心から後悔しているに違いないのです。


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