ひらやんのブツクサ独り言   ON WEB
 バックナンバー一覧メルマガ登録・解除・変更お問合せ 2004/8/4配信
カメ(その1)

 昭和56年の冬、私が所属する戦車大隊の訓練検閲が行なわれました。訓練検閲とは、学校でいう定期テストみたいなもので、実働訓練を通して部隊の練度を判定されるものです。大隊の訓練検閲を行なう統裁官は師団長で、もし「不可」の判定を下されたら、練成訓練をやったのち訓練検閲のやり直しもあり得る厳しいものです。

 大隊は薄暮に行進を開始。雪が降り積もる演習場を、数十輌の戦車が縦1列になって行進する様子は迫力満点でした。

 戦車による機動を想定した行進は深夜日付が変わっても続き、目的地へ近づくにつれて大隊は各中隊ごとの宿営地へ分散し、中隊はさらに小隊ごとの宿営地へと分散して進入して行きました。宿営地に入ると戦車に偽装を施し、各車ごと4名の乗員が交代で警戒任務につきながら休息することになっています。

 私が搭乗していた第3小隊第2車の宿営予定地は森の中にありました。そこへたどり着くためには、道路から進入してなだらかな斜面を超えなければなりません。操縦手はこの訓練検閲ではじめて操縦手を務めるH1等陸士で、私と同い年の先輩でした。戦車の乗員は誰でも最初は装填手からスタートします。
あるていど場数を踏んで慣れてくると、次は操縦手に“昇格”します。操縦手の多くは陸士長ですから、1等陸士で操縦手に抜擢されるのは、それだけ技量が優れている証です。

「H1士、雪で地面が滑りやすい。慎重に行け」

 車長が注意を促しますが、H1士の操縦技量ならばこのていどの斜面を超えることぐらい、なんら苦労のいらないことでした。しかし、悪い条件がいくつも重なると、いかに腕のいい操縦手でも技量でカバーしきれない状態に陥ってしまうものです。

 まず、積もった雪が戦車の重みで溶けて地面との摩擦を極端に減少させていました。戦車は斜面に対して上りでも下りでもなく横向きの姿勢になっていたので、車体が左に傾いていました。車体が少しずつ横滑りをはじめて、ブレーキが全く効きません。35トンもの巨体にいったん惰力がついてしまうと、もう誰にも止められないのです。

 このまま横滑りを続けて斜面の下まで下りきってしまうと、勢い余って横転する恐れがあります。

「H1士、操向レバーを左に引け!」

 車長は車体を斜面に対して縦方向に立て直そうとしたようです。

 果たして車体は、急激に左回転して斜面の上に向かう格好になって止まりました。と同時に、エンジンが止まっています。61式戦車は、エンジンの最低回転を維持するアイドリングを調整していないときにアクセルから完全に足を離すと、燃料の供給を断ち、エンジンが止まる仕組みになっていました。

「ようし、止まったか。一時はどうなることかと……」
 車長はほっと一息ついて、私も安心しました。眠気もどこかへ吹っ飛んでいました。

「エンジン始動」
 H1士は再びエンジンを始動し、坂道発進に備えてギヤを1速に入れました。
通常は2速発進ですが、停止状態から上り坂に向かうので、もう1段落としたのでした。

「前身よーい、前へ」
 エンジンが唸りを上げ、車体が大きく揺れました。が、前進する様子がありません。

「H1士、どうした? 前へ、前だ」
 車長の声がヘッドセットから響きます。

「エンジンを吹かしているのに、全く動きません!」

 H1士の泣きそうな声が聞こえてきました。「履帯(キャタピラ)が滑っているようです」


「まさか、カメか?」


 砲手のI3曹が砲手席から声をかけます。戦車が泥沼などに脚を取られて動けなくなる状態のことを、乗員の間で「カメになる」と言います。ふつう、地形をよく見て操縦していれば避けられることが多いので、カメになるのは操縦技量が未熟な証拠で操縦手の恥とされていました。

 この斜面を上ろうにも、雪でキャタピラが滑ってしまうようです。

「よし、いったん後退しろ」

 しかし――

「動きません。履帯が滑ってます」
 そんなバカな。上りならともかく、下りでキャタピラが滑るなんてことがあるのか?

 何度やってみても同じでした。エンジンを吹かすと、ゴゴゴッとキャタピラが地面を引っかいている感触とともにその衝撃が車体に伝わってきますが、戦車は何者かにしっかり掴まれているかのように身動きが取れないのでした。

「運転やめ、エンジン停止。いったん降りて様子をみる」

 車長は懐中電灯を片手に、足元の悪い斜面に降りました。しばらく戦車の周りを見て回って、
「ああ、なんてこった。これじゃ動けんぞ」
 という声が聞こえたので、私、砲手、操縦手のH1士も降りて、車長が照らす場所を凝視しました。

 まず車体の前部にある牽引用フックに松の切株がガッチリと食い込んでいます。さきほどの急激な左回転は、この切株に食い込んだときに支点となったものと思われました。そして車体の後ろに回ってみると、後部の牽引用フックにこれまた松の切株が食い込んでいるのでした。なんと前後の牽引用フックと同じ間隔で切株があって、ちょうど車体の前後を切株で固定された格好になっているのでした。

「うーむ……」
 戦車に乗って20年のベテラン車長が唸ったまま一言も発しません。もはや乗員だけの力で脱出できる状況ではなくなっていました。

(つづく)


前の独り言次の独り言
トップメルマガ登録

Copyright (C) 2004 OGK All Rights Reserved
軍事情報メルマガある通信兵のおはなしひらやんのブツクサ独り言「日本列島波高し」〜元幹部自衛官のコラム軍事関連知識集年代表情報資料メルマガバックナンバー硫黄島戦不肖・宮嶋支援HPおすすめ書籍めろんぶっくす心と体の危機管理