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 バックナンバー一覧メルマガ登録・解除・変更お問合せ 2004/8/18配信
模擬原爆で投下訓練?

 昭和20年8月6日は、戦争にはじめて核兵器が使われた日として永遠に記憶されねばなりません。そして8月9日を、核兵器が使われた最後の日にしなければなりません。

 私たちを初め多くの日本人は、原子爆弾そのものが投下された日のことは意識していても、じつは米軍がそれ以前に実験を兼ねた原爆の投下訓練を行なっていた事実を知らないようです。

 昭和20年7月26日といえば、広島に原爆が投下される10日前のことです。現在、大阪市内で呉服店を経営するTさんは当時小学生でした。

「昼頃、B29がたった1機だけ上空に現われて、落下傘のついた物体を投下すると反転して去って行った」

 同じ町内で縫製業を営むSさんも、当時のことを鮮明に覚えていました。

「空襲警報が鳴って空を見ると、B29が1機、飛行雲を引いて飛んできた。ほぼ真上に見えたとき、白い物体を落とすのが見えた。ザーッという異様な音が聞こえたので、咄嗟に近所の家の防空壕に飛び込んだ。直後、凄まじい爆発音と地響きがきた。子供の好奇心ですぐ防空壕から飛び出して、あたりの様子を見に行った」

 爆心地から南の方角に延びる狭い道路を挟んで商店や民家が建ち並んでいました。爆発の衝撃波がその道路に沿って走ったのか、商店や民家の窓ガラスや障子が粉砕されていました。

 この時、落下傘で投下されたのは5トンの通常爆弾でしたが、数年前に米軍が公表した資料によって「模擬原爆」だったことが判明しました。日本に原爆を投下するための訓練として、全国に約50個もの模擬原爆を投下して、実物の原爆投下を行なう予行演習をやっていたのでした。

 一説によると、8月6日に原爆投下の第一目標となっていたのは大阪で、当日の大阪上空が曇っていたために第二目標の広島に変更されたのだといいます。

 TさんとSさんが目撃した模擬原爆は、当時民間企業の社員寮として借り上げられていた料亭「金剛荘」のほぼ真上で炸裂。金剛荘は全壊して地面が大きくえぐられましたが、そこに住んでいた社員たちは全員が会社に出勤していたので、人的被害は少なくて済みました。が、亡くなった人がゼロだったわけではありません。今も7月26日には、町内の人たちによって慰霊祭が行なわれています。


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