ひらやんのブツクサ独り言   ON WEB
 バックナンバー一覧メルマガ登録・解除・変更お問合せ 2004/9/22配信
忘れ去られた? 高砂義勇兵

 あるお年寄りの自叙伝の制作をお手伝いする機会がありました。戦時中は炭鉱技師として台湾で過ごされたことに関連して当時の台湾について調べる過程で、日本軍兵士として連合国軍と戦った「台湾義勇兵」の存在を知りました。

 台湾原住民のうち、漢文化の影響を受けることが少なく山地や東部の平地を占拠し、日本の統治時代には「生蕃(セイバン)」と呼ばれた民族があります。
当時はまだ多くの固有文化を残していましたが、首狩の風習があったため、台湾に入植した日本人からは野蛮人として一線を画されていました。これが後に「高砂族」と呼ばれる民族で、日本統治時代の「生蕃」という呼び方は現在では差別用語とされています。

 日本が太平洋戦争に敗れるまで台湾は日本に統治されていたので、台湾の人々はその時代には「日本人」でした。昭和16年に志願兵制度が実施されると、募集定員1020人に対して応募者45万人、翌年も1008人の募集定員に対して60万人の応募者がありました。軍司令部には台湾から入営を願う血判書・陳情書が殺到し、さらに熱心な若者は陸軍省へ直接陳情したといいます。ちなみに当時の台湾の人口は約600万人でしたから、台湾人の10人に1人が志願したことになります。

 高砂族には豊富な山地生活の知恵があり、また勇敢で忠誠心も高く、南洋のジャングル戦では常に先頭に立ったと伝えられています。軍も彼らの特性を活かすべく、ジャングルでゲリラ戦を展開する専門部隊が編成されました。とりわけフィリピン・ボルネオ・ニューギニアでの活躍はめざましく、日本の戦友からも厚い信頼を得ていました。
 

 高砂兵の忠誠心の高さを示すひとつのエピソードが残されています。
 南方のある戦線で、高砂兵が日本の戦友に食べさせるために食料を探しに出かけました。いつまで待っても戻ってこないので、おそらく途中で敵と遭遇して戦死したものと考えられていました。ところが後にその高砂兵の遺体が発見されたとき、彼の死因が餓死であることが分かったのです。はたして彼の両手には、日本兵に食べさせるために調達した食料が携えられていました。日本の戦友のために手に入れた食糧にはいっさい手をつけることなく餓死を選んだのでした。


 血判書までしたためて日本軍への参加を熱望し、前線では死をいとわず戦った高砂義勇兵は、その半数が戦いの中で命を落としました。しかし実際には正規の兵隊ではなく軍属扱いで、たとえ生還しても戦後は日本国籍を失ったために恩給や補償を受けることができなくなってしまったのです。そして高砂義勇兵の存在自体も、しだいに日本人の記憶から薄れていったのでした。

 台北郊外の烏来(ウライ)には高砂義勇兵の戦没者を祭る「高砂義勇兵英霊慰霊碑」が建立されています。意外なことにわずか12年前にやっと建立されたのですが、敷地を提供している台湾の観光会社が倒産してしまい、慰霊碑そのものが撤去されるかもしれない危機に瀕しています。昨年に流行した新型肺炎(SARS)により日本人の観光客が激減したことによる減収でついに倒産。
観光会社は慰霊碑の建つ土地を更地にして売却する意思を固めたというのです。
ならばせめて移設しようという運動が地元で活発化しており、移設に必要な経費1600万円の捻出に頭を痛めているといいます。

 日本に忠誠を誓い、日本兵として戦った高砂義勇兵の慰霊碑を守るために、なぜ日本国政府が積極的に手を差し伸べないのか甚だ疑問を禁じ得ませんが、民間レベルでは活発な募金活動が行なわれているそうです。
 
 参考サイト http://blog.livedoor.jp/eats/archives/5510920.html



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