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寒中お見舞い申し上げます。 2004年も押し迫った昨年の暮れ、阪神淡路大震災の復興事業に関連するイベントと、それに関わる人物の取材を立て続けに行ないました。10年前、ある雑誌の取材で被災地を訪れたときには、まるで爆撃に遭った跡のような凄惨な光景が広がっていた地域も、今は外見上すっかり綺麗になっています。が、復興事業に携わる関係者の話によると、文化や産業といった分野では復興どころか衰退すら見えるということでした。この10年の間に東京への一極集中が急速に進んで、文化や産業の中心が東京へ移ってしまい、とくに関西に根付いていた伝統芸能の衰退が著しいというのです。企業は本社機能を東京へ移し、関西歌舞伎はもはや見る影もありません。出版業界は流通機能を東京に牛耳られ、県境を跨ぐ出版活動は必ず東京を通さなければ実現できないのが現状です。このような状況でもし首都圏を大災害が襲ったら、日本は事実上、国家としての活動を停止するでしょう。 被災者で、今は震災を語り伝える「語り部」としてボランティア活動をされている数人の方に、インタビューをする機会がありました。インタビューの開始にあたって、私が元自衛官であることを告げると、皆さん一様に姿勢を正して「あのときは本当にお世話になりました」とお礼を述べられました。私は当時はすでにフリーライターとして独立してましたから、災害派遣部隊には参加していません。それでも自衛隊の存在がありがたかったことを、熱っぽく語ってくださいました。 当時、ある公園に避難者のテント村がありました。その中の家族に自衛隊入隊が決まっていた高校生が生活していたそうです。少なくともそのテント村では、自衛隊はさながら救世主のような存在でした。その自衛隊に入隊するというので、いよいよテント村から自衛隊へと出発する日には、テント村の人たちが総出で見送ったそうです。他にも、災害派遣部隊の活動を目の当たりに見て自衛官を志し、実際に入隊した者が多いのは事実です。 ある語り部の方は、天幕を貸してくれた部隊にお礼を言いたいけれど、部隊名すら分からないと困っておられました。名古屋から来た部隊というだけでは探しようもありませんが、当時、東灘区の公園で天幕を設営した部隊でこれを読んでいる人がいれば、この場を借りて、たいへん感謝されていたことを伝えておきます。 そしてもうひとつ、一般にはほとんど知られていない事実があります。派遣任務を終えて撤収した部隊の隊員の中には、そのあとも個人の資格で被災地の救援ボランティアに参加した者が少なくありません。センセーショナルな話題や美談ばかり求めるマスコミには知られていない事実のひとつです。 閑話休題。 日本中を震撼させた阪神淡路大震災から間もなく10年を迎えようというときに、今度は新潟を大地震が襲いました。他にも自然災害の多かった昨年ですが、暮れにはまるで災害の年にトドメを刺すかのように、スマトラ沖地震が発生し大津波による死者が15万人を超えようとしています。日本政府は復興支援の一環として、800名余規模の自衛隊を派遣することを決定しました。 さて、ここでひとつの疑問が湧きませんか。 カンボジアのPKOに始まる自衛隊の海外派遣に目くじら立てて反対していた勢力が、今回はまるで何事もなかったように鳴りをひそめています。いつの海外派遣でも、彼らが反対理由としていたのは「自衛隊を海外に派遣すること」だったはず。スマトラ沖地震の復興支援が「人道支援」ならば、イラクへの派遣も「人道支援」です。戦争で傷ついた人を救うことと、災害で傷ついた人を救うことのどこに違いがあるのでしょう。自衛隊の海外派遣に反対する日ごろの態度とは180度違うご都合主義の感が拭えないのは私だけでしょうか。
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